旅の記憶
免許を取得してから5年以上の歳月が流れました。無事故無違反でゴールド免許の私は、運転好きということもあり、一人でプラ〜っとドライブへ。初めての一人旅は「房総一周」。忘れもしない、夏の事。それも海の日でした。
お休みだった私はお天気の良さにいても立ってもいられず、車を走らせました。ただ海を見に行こうと。泊まるつもりもなかったので、着替えも持たず房総へ。お決まりの九十九里へ向かいました。
海ではサーフィンをしている人、海水浴を楽しんでいる人、それはたくさんの人々でした。
車を停め、しばらく海を眺め、持参していた本を読みました。本のタイトルを忘れてしまったのが残念でなりません。
その後、館山の方に下りたいなぁとひたすら海岸沿いを走りました。ちょうど、白浜海岸ではお祭りをしていました。そのころにはすでにあたりは真っ暗。ここから自宅に帰るには運転の疲労とあたりの暗さで無理と判断。携帯もつながったりつながらなかったりで、とにかく宿を探す事に。
この時宿を探すのが大変だとは思いもしませんでした。1件目、外の看板には「空室あり」とあるのにフロントで「満室です」。2件目も同様。
なぜなんだ?と疑問に思いましたが、すぐに答えは見つかりました。女の一人旅、突然の宿泊には何かある?!と思われたのでしょう。
このまま諦めかけて海岸沿いを走っていると、1件のペンションを見つけました。またも「空室あり」。どうしようかと宿の前をウロウロしながら、ここがダメなら帰ろうとアタック!
とても親切なオーナーですぐに泊めてくださいました。すぐに部屋でくつろぎたかったのですが、両親に電話と夕食もまだだったので買出しへ。ビールを飲みながら感じた事のない安堵感を味わいました。
何を隠そう、私はこの旅の2週間前に失恋していたのです。突然の別れに何が何だかわからなくなり、自分が必要とされていない事にひどく落ち込んでいました。家にいるととにかくフルートしかさらえず(さらってるだけましか)、グチることもできず、このままではいけないと旅にでたのです(笑)
久しぶりに飲んだビールと自然のエネルギー、人の親切に本当に救われました。
翌朝はもうスッキリ!海を眺めながら朝食を取り、魚センターに行き両親へのお土産を購入。元気に帰宅しました。
これが私の初めての一人旅です。
2回目の一人旅は、最近のフランス旅行。
以前友人のお家へ遊びに行ったフランス。あの時はろくに言葉も出来ず、悔しかったなぁ。それでも一人でウロウロすることは苦でもなく、とても楽しい思い出でした。そのフランスへ1年間勉強したフランス語の成果を試す為にいこうと決めたのは、4月ごろでした。
海外の一人旅を経験している友人に相談しながら、航空券の手配、ホテルの予約など全部自分でやりました。
もちろん、いろんな人の援助はありましたが、これはかなり自信につながります。フランス語の先生もたくさんのアドヴァイスをくれました。
パリだけに行くのはツマラナイと今回は南仏を中心に行き先を決めました。
南仏といえばニースかなぁと思ったので、とりあえずニースに行ってからあとのことは決めるつもりでした。
フルートの名曲で「アルルの女のメヌエット」があります。このアルルとは一体どんなところ?アルルの女はどんな女性?
この疑問だけでアルル行きを決定。近くのアヴィニョンも滞在しました。
ニースからモナコは鉄道で20分。これは行くしかないと、本物のF1コース、カジノ、大公宮殿見てきました。
そして旅の最後はやはりパリ。今回は友人の友人(一度だけあったことがある)宅に泊めてもらいました。彼女も私と同じ音楽を勉強していてフランスに4年います。一度しか会った事のない私を2泊もさせてくれました。本当に感謝です。おかげで楽譜も購入できたし、コンサートも聴きにいけたし、何よりもフランスの生活に触れた気がします。
まず飛行機。直行便は高かったので大韓航空で行きました。隣の席になったおば様は10万以上、私は8万5千円。旅行会社でこんなにも違うのですね。さらにその隣はフランス人!これはチャンスだったのですが、おば様に阻まれてほとんど会話できませんでした・・・。
ド・ゴール空港に着いてからはRERでパリ市内へ。予約をしていたユースホステルへ直行。
もう時間は20時でした。明るいからいいもののなんとなく道があいまいだったので不安でした。しかし、野生の勘で迷わず到着。
部屋は4人部屋。すでに台湾の女の子がいました。
初めてのユースホステル。噂には聞いていたものの、清潔感がなくて私は今後利用できないかもと思ってしまいました。
次の日は朝からTGVでニースへ。これも予約していたのでスムーズに。駅の乗り場も事前に調べておいたので安心でした。
隣の席は仕事中のマダム。ずっと新聞を読んでいるので会話も無く、私もこれから行くニースのガイドとフランス語会話の本を読んでいました。ニースには5時間30分で到着。すぐに観光案内所へ行き、市内の地図とこれから泊まるホテルの場所を聞きました。
早速ホテルへチェックイン。これまたスムーズ。私は旅行運があるのかもしれません。部屋はシングルですが、シャワーもトイレもあり快適。2つ星だから当たり前か。
荷物を置くとすぐに街へ。そう、ニースの海岸へ。今年初めての海は本当に青くキレイでした。エネラルドグリーンの海と青い空、白い雲。
本当にのんびりできそうな雰囲気。少し海岸沿いを歩き、明日からの計画をたてるためにプチトランに乗車。
ニースを1周してくれるような観光バスです。夕方、まだ明るかったですが(22時ごろまで明るい)ホテルに戻り、夕食を買いに出ました。
ちょうどその時、海外を旅している友人から連絡が入り、今ニースに来ていると。それもホテルもすごく近く!早速待ち合わせをして会いました。
次の日一緒に行動する事を約束して別れ、私は夕食をホテルで食べました。最初から親しい友人と行動できるなんてとてもラッキーです。
明日からが楽しみだ。
そして友人とニースの街を散策。海はきれいだし、山の上(城跡)ではお祭り。食事はそこでしました。ヤギのチーズやワイン、ラタトゥイユなどお腹いっぱいに食べました。次の日はモナコ。駅のホームからゴミひとつ落ちていない。本当にキレイな街。さすがセキュリティもしっかりしたセレブの街。普通の道がF1コースということで、ちょっと興奮しました。友人とは今日でお別れ。明日からはま一人旅。
次に訪れたのは、アルル。夏の暑い日にホテルを探すなんて、なんて大変なんでしょう。それに小さな街で坂道が多い。小道を入るのが少し恐かったくらい。しかし、何件かあたってようやく決定。ダブルの部屋しかなく、そこを値切った。初のリッチ泊まり。
アヴィニョンでは日本人の女性2人と知り合いました。旅ってこういうのが面白い。お互いの住所を交換しました。美術館では、監視員のオジサマにしつこく誘われ、しまいには抱きつかれました。こんな時に限って誰も他の見学者がいない。振り切って逃げました。独身といったのがいけなかったのかな?(笑)
パリに戻ってからは、友人の友人宅にお世話になり、安心して楽しめました。夜遅くまで外にいても恐くなかったし、フランス人たちとパーティーができ、ほんの少し日常を味わいました。あっという間に滞在は終わり。帰りの飛行機が大変だった!
大韓航空はソウル行き。それなのに、日本行きのずらっと並んだ窓口に並びんでしまい、時間オーバー。
それでもかけあって手続きをしてもらい、急いでゲート行くと・・・。ストライキで飛行機に乗れない!!多いと聞いていたストに初めて遭遇。おかげで飛行機には間に合い、無事に帰国しました。ストに感謝!
3回目のフランス旅は、パリとロワール地方、そしてイギリス、ハンガリー、オーストリア3週間の旅。
なぜこうなったのかというと、フランスはお決まりのコースだけど、イギリスに友人ご家族、ハンガリーはピアノ石本先生がいるため足をのばしたから。
パリでは日本人男性に道を聞かれ、ついでにお茶を御馳走になり(笑)、その代償に危険な目に。いやぁ、海外で日本人に嫌な思いをさせられるとは。これは現地に住む友人に怒られたほど。それと、エジプト人。本当かどうかわからないけど、モハメッド(笑)には、セーヌ川沿いをずっとつけられた。
トゥールは、行きのTGVで携帯を盗まれ、駅に着くなり遺失物係りへ。携帯メーカー(ドコモ)を知らない為、話がなかなか進まなかったが、ここは負けずに頑張った。おかげで、帰国してから携帯は見つかり、無事に日本へ届いたのだった。
ここから、ソーミュールへ行ったのだが、それはフランス語の先生の実家にお世話になるため。先生の家は、モントレイユ・ベレー。お父さんが迎えに来てくれた。顔も見たことがなかったお父さんだったが、改札を出てすぐにわかった。背の高い、優しそうな男性。車で家まで15分くらいだっただろうか?片言のフランス語で一生懸命話をした。お母さんは、日本で会った事があったため懐かしかった。
これからしばらくフランス語漬けの毎日を送り、フランスの家庭生活を体験。毎晩ぐっすりになるほど頭使った(笑)
この生活は一生、忘れることはないだろう。おばあちゃん、先生の弟、そして親戚の家族。みんながとても親切で温かかった。ビズの洗礼を受けたのも忘れない(笑)同年代の男の子に自然とされたビズは、固まってしまったが、「ここはフランスだから」の一言で片付けられた(笑)
お礼に毎日フルート吹いた。また、来年と泣きながら(ウルルン滞在記のよう)お別れをした。
パリに戻ってイギリスへは初のユーロスター。日本語好きの係員たちばかりで、なんだか変な感じ。ただ、すぐにフランス語から英語にできない私は、受け答えがフランス語になっていたり、英語のできなさに悲しくなった。
友人宅は、エクセター。ロンドンから列車で2時間30分くらいだったと思う。とても趣のある港町。ここでは、クリームティーが気にいって、ほとんど毎日食べていたから、太った。イギリスのご飯がまずいって誰がいったのさ〜。美味しかったよ〜。
そう、食事にはいつも当たりの私。だから旅では太ってしまう。あんなに歩いていても(笑)
トーキーやバースにも足を運んだ。
そして、ハンガリー。イギリスから飛行機でブタペストへ。お迎えはないので、空港から乗合バスに乗る。ここで、住所の聞き間違いから足止め。遅くなったが、無事に先生の紹介してくれたリスト音楽院生のお宅に到着。あいさつも簡単に先生と食事に出る。
ここでトラブル発生。夜遅くなったためタクシーで送ってもらったが、家の扉が開かない。オートロックになっているのだが、その番号を押すところまでも入れない。携帯もなくしたままだし、着いてすぐだったから小銭もなく・・・。
オレンジ色の薄暗い道で一人。野宿するには寒いし、恐いしで、とにかく人の通りそうな大きな道へ。そこで、一人の若い女の子に声をかけ、事情を説明。電話をしたいから、小銭に両替してほしいとお札を出した。すると、大きな額だったからか、小銭をあげるから早く電話をしたほうがいいと親切に公衆電話も探してくれた。これで、電話がかけられ家に入れた。家主も先生も「旅慣れていて良かった」と言っていたが、私は正直恐かった。
ここでは、一日だけウィーンへ行く事ができた。ザッハトルテをもちろん食べた。先生と別れて行動した数時間も、ひたすら歩いて楽しかった。また行きたいな。
ブタペストには、世界で一番豪華なマクドナルドがあった。入ることはなかったけど、優雅な雰囲気を味わえそうな造りだった。
リスト音楽院生のお友達(ハンガリー人)とも観光し、夜は山の上でバーベQ。トカイワインをいただいた。こういうことができるのも、やっぱり現地に住んでいる人と知り合えたから。いつも旅にはこうして恵まれ、本当に感謝しきれない。
今年(2006)は、親友2人とセブ島へ行った。行きの飛行機(フィリピン航空)の遅れで到着が夜。いろいろあったが楽しい4日間を過ごした。また夏には、カナダへ行く予定。こちらはコンサートをすることが決まっている。今からとっても楽しみ。
フランスへは行けるかわからないけど、何とか年内に行きたいな。
2006年8月。
ついに海外でのコンサートを実現させた。場所はカナダ、モントリオールとケベックシティ。
フランス語圏ということもあり、私は勉強も兼ねて、演奏も出来てとラッキーすぎるお仕事だった。
行きの飛行機は、アメリカ(デトロイト)経由。ちょうど、イギリスで未遂のテロ発覚があったため、入国はかなり厳しい。おまけに時間もかかる。初めて指紋をとったり写真を撮られたりした。これがモントリオールになると・・・すんなり入国。
おまけに「ミュージシャンで演奏にきた」とフランス語で話そうものなら、ものすごくフレンドリーな審査官。大陸続きでも違うんだなぁ。
2日間ばかり観光して、ケベックシティへ。
こちらはモントリオールよりも田舎で、言葉が訛っている!!聞き取りづらくて、慣れるまでに時間がかかる。
私の演奏した場所は、万博の日本館内。日本の童謡や宮城道雄の春の海を浴衣姿で演奏。フルートに浴衣は、演歌歌手のようだが、ここは親しまれキャラの私。あちこちで「かわいい、素敵」と言われ写真やテレビの取材も受ける。
ここでは、予期せぬ出来事(盗難)に遭った。それも楽屋泥棒!
カギのかかった部屋にも関わらず、演奏を終えて戻るとない!バックがない!洋服がない!あれっ?クツはある(笑)
すご〜く疲れたけれど、大使館の方々のご協力でスムーズに手続きを終え、私たちのマネージャー(勝手にそう思っていた)に「何歳ですか?」と聞く余裕もあった(笑)
彼は40歳。結婚もしていて、あ〜残念ではあったけれど(笑)とても紳士でナイスガイだった。写真も撮ったし。
万博では戦車に乗せてもらったり、プティンというポテトに上にチーズとグレイビーソースがかかったものも食べたし、もちろん、メイプルシロップのデザートも。盗難を除けば、どれも良い思い出。
そして、ほろ酔いのときの方がフランス語ができる(笑)これって不思議だけど、そうだった。
来年はフランスツアーができそうな予感。想いは叶うって本当だね!
